館長は今一度、人間の少年をソファに座らせ、自分も向かいに腰掛けた。

「さて。それでは、大事な話をしておこうか」
 コトリと音立ててカップを戻し、話を切り出す。
 口いっぱいにケーキを頬張っていた少年は、慌てて紅茶を含んでそれを呑み込んだ。

「大事な話って?」
「君がこのハロウィン・タウンで暮らしていくために、大事な話さ」
 館長が背筋を伸ばすと、少年もあわてて姿勢を正す。

「はじめに。君はよく流されよく染まる良い子です。ひとの話を疑わず、危機感も薄い。状況を早々に受け入れて馴染みすぎる。主人公にはもってこいだろう」
「ありがとうございます」
「褒めているわけではないんだけどね」
 館長が返すと、少年はテヘヘと頬を掻く。
「その性分ゆえ、君は簡単にタブーを犯してしまう。最も重要な三つの禁忌を、君はこの短時間にすべて破ろうとした。今日は私が止めたけれど、今後は絶対にしないでほしい」
 言いながら、館長は右手でつくった握り拳を少年に向ける。

「まず、一つめ」館長が人差し指を立てた。
「安易に自分の名前を名乗ってはいけません。名前は存在を確立するために最も重要なものだ。自分の本当の名前を相手に支配されてしまえば、存在を乗っ取られたも同然。君が今まで名乗っていた名前は、絶対に口に出さないように、けれど忘れないように。自分できちんと持っておくんだよ」

 少年は急に不安な心持ちになり、ごくりと唾をのんだ。
「それって、みんなそうしてるの? サギも本当の名前じゃないの?」
「いいや、サギはサギだよ。私に永遠の忠誠を誓ってくれたとき、私が与えた名前だ。サギは本来の名を捨てて、私の命名を受け入れた、だからサギの存在のすべては私が握っていることになる」
 館長が説明すると、サギは深く誇らしげに頷いた。
「名前のことは契約の一種のようなものかな。もしもサギが本当の名前を自力で思い出せば、サギは私の支配から逃げることが出来るわけだけど――」
「まさか! 冗談はおやめください、主!」
「ああ。ごめんよ、変な例え話で。君をよそへやるつもりなんて毛頭無いさ」
 館長の腕にとりつき目を潤ませるサギを見て、少年は不意に真顔になる。それにしても厄介なのと契約したものだなあ、この人。

「君の場合はここに居着くんではなくて、帰るべき場所があるだろう。タウンに居る間は本当の名前を伏せて、名を偽って暮らしてもらうことになる。名前をここに置いたままで、元の世界に戻ることは不可能だからね」
 館長が言うと、少年はこくりと頷いた。

「つづいて、二つめ」館長はふたたび腕を突き出し、ピースサインを少年に向けた。
「知らない食べ物は口にしてはいけません。お茶会を始める前、ケーキや紅茶を食べたことがあるかと、私は君に確認をしたね。君は、いままで食べたことがあるもの、あるいは人間界に当たり前に存在する以外のものを、このタウンで食べないほうがいい」

 少年は、目の前にあるクッキーやスコーンをちらちらと見た。
「それは、食いしん坊の僕には、ちょっと難しい話かも」
「難しくても、絶対に守ってほしいな。この世界は人間界をまねして作られた世界だから、大抵は警戒する必要はないんだけど。時々ほかの世界から持ち込まれた食べ物に出会うことがあるんだ。そういうものをもし食べてしまったら、君はもう永遠にこの世界の住人になってしまう。元の場所に戻れなくなる」
 館長が言うと、少年はしょんぼりを視線を下げた。

「本当にそうかなぁ? もしかしたら大丈夫かもよ。それで、もしかしたら美味しいかも」
「美味しくても駄目です。いいかい、君の身体は君の食べたものでできているんだよ。こちらの世界のものを食べて染まってしまったら、こちらの世界の君になってしまう。異分子となった君を、もはや故郷は受け入れないだろう」
 そういうものかなぁ、と、依然納得のいかない表情で、少年は呟く。

「用心すべきは、見た目は既知の料理でも、材料が現地産だった……というパターンだ」
「チョコ味キャンディかと思ったらコーヒー味キャンディだった、みたいな?」
「……本当に信頼できる相手とか、あるいは私たち洋館の人間が許可を出した者でない限り、タウンの住民からもらったものは勝手に食べてはいけないよ。洋館で出されるものはサギが気を付けて作ってくれるから、安心して食べるといい。ねえ、サギ?」
「はい。責任を持って調理させていただきますとも」
「なるほどだなあ。サギがお菓子作りが得意でよかったよ」
 少年が胸をなでおろすと、サギは照れ隠しがてら、そっぽをむいて咳払いした。

「では最後、三つめ」館長は薬指をぴんと立てた。
「知らない人にはついて行かない事」
「そのくらい言われなくても分かってるよ! 小さな子供じゃないんだから!」
 少年がとっさに立ち上がって講義すると、館長もサギも目を丸くして少年を見つめた。

「うん。ごめんね。馬鹿にしたわけじゃないんだよ」
「お、落ち着け少年……」
 二人が慌ててなだめると、少年はふんと鼻息を荒くしながら、乱暴にソファに腰を下ろした。

「だけど、君の様子を見ている限り、かなり不安なんだ。実際、君はこのカカシたちに素直に従ってこの洋館へ入ってきただろう。深夜の怪しいお茶会にも疑いなく参加したし、私たちと一緒にここに暮らすことだって、訝しむどころか大喜びで賛成した」
「それはだって、みんなは怪しむような相手じゃないじゃん?」
「そう言ってもらえて、嬉しいのは嬉しいんだけどね。悲しい忠告だけど、君はもう少し他者を警戒したほうがいい。見た目や口ぶりを信じてはいけない。……って言ってる私のこの話はぜひ信用してほしいんだけどね……うーん、なんだか難しいなあ、この話は」

 館長は口をへの字に曲げ、ソファにもたれて腕組みをした。
 すっかり眉尻を下げた少年に、サギが声をかける。

「要するに、甘いお菓子に釣られて誰かの家について行くな、ということだ」
「ああ、僕すごくやりそうだよ、それは……」
「タウンの住民の料理を勝手に食べてはならないし、家に上がってもいけない。暫くの間は我々洋館の人間と行動を共にするのだ。この洋館で一緒にお茶をしたことのある者以外は、どんなに優しい顔をして甘い言葉を吐いても、みんな敵だと思っておけ」

 サギが言い放つと、少年はしょんぼりとしつつ、それでも「分かったよ」と頷いた。
 二人のやり取りを見守りながら、館長はぱちくりとまばたきする。
「すごいね、サギが言うと私のような胡散臭さがまるで無くなったよ」
 館長の言葉に、すかさずカカシたちが振り返る。
「サギは顔が怖いからねえ」
「僕もまったくそう思う。サギの場合は甘い誘いというよりおそろしい脅迫」

「やかましい!」
 サギが吠えると、カカシたちはキャーと大げさに驚いて喜んだ。
 館長は紅茶のカップを手に取り何度か口をつけて、満足そうに微笑んだ。

「うん。いま伝えておくべきことはそのくらいかな。後々、疑問はたくさん出てくると思うけど、それは都度我々に聞けばいい」
「ありがとう!」
「返事だけが良いのでは困るぞ。質問しておいて右から左が得意なようであるからな」
「えへへ、それほどでも」
 少年が後ろ頭を掻くと、サギは「褒めてないぞ」と目を細めた。

BACK TOP NEXT
inserted by FC2 system