また一歩踏み出しかけると、少年はべそをかいて顔をゆがめた。
館長はそれを見るなり動きを止め、怯える少年との間に距離をおく。目前の男の黄色い瞳に見つめられながら、少年は、男性の後ろでケーキにはしゃぐ双子のカカシの笑い声さえ、遠い世界の音のように感じた。
「そう、ハロウィン・タウン。単純明快、実を現した良い名だ。そうだろう、サギ?」
「ええ、まったく」
こちらを向いたサギが、こっくりと頷く。
獣頭の召使いだか執事だかに話しかける間でさえ、自分を捉えて離さない館長の視線に、少年はさっと背筋が冷たくなる。
館長はスラックスのポケットに両手を突っ込み、目を閉じてひとつ間を置く。
「単刀直入に言えば、君は壮大で厄介な迷子だ。ここは君の知っている世界ではない。君はとうぶん元の世界には帰れないだろう」
ポケットから出て来た片手、人差し指を立てると、その上に青白い炎がぽつりと点る。
「ハロウィン・タウンの扉が開くのは10月31日、ハロウィンの夜その日だけ。君はハロウィンの時間からここへやって来たようだけど、ここの時間はハロウィンじゃない。残念なことに現在、ハロウィン・タウンは名前のくせして11月11日なんて気まぐれな数字を刻んでいる。元の世界に帰りたければ、ここで一年後のハロウィンを待つしかないよ。迷子の迷子の人間くん」
館長が炎のついた人差し指を勢いよく振ると、シャンデリアに刺さったたくさんのろうそくが、風も無くいっせいにゆらりと踊った。少年はごくりと唾を呑みこんだ。
「……わけがわかんないな」
「そうだろう。家に帰れなくて本当に気の毒だけど」
「ううん、家に帰れないのは別にいいや」
少年はふう、と息をついて、その場にへたりこんだ。館長は目を丸くする。
「帰れなくていい、とは。ご家族は心配しないのかい?」
「そんなのは問題じゃないよ。それで? ここが別の世界だって?」
「あ、ああ。ご覧いただいた通りだよ。手品じゃなくて本物のマジックだと、君が信じてくれるなら、になるだろうけど……」
「うん、それはとりあえずオッケー。じゃ、あの猫は何だったの?」
「それは……我々にもまだよく分からないな。ただ、入り口を開いたのはその猫なんだろうから、調べる必要がある。帰る方法もそこに鍵があるだろう」
「……ん? ちょっとまてよ」
少年がふと顎に手をやり、その手で館長を指さす。
「帰る方法も……だろう? つまり、帰る方法はまだ分からない?」
館長は一瞬顔をこわばらせ、長い息を吐きながら深く頷く。
「そう。残念ながら。ここには“10月31日の夜に異世界への扉が開く”という伝説があるだけで、その実態は掴めていない。……しかしね、実は来訪者は君が初めてではないんだ」
「僕と同じ世界から来た人がいるの!?」
「……うーん……いや……込み入った話はまた後日にしよう。彼については私から話すよりも、実際に会ってもらったほうが早いだろうし」
「会わせたくないのが本音であるがな、あのネジなしには」
サギがぼそり、と口を挟む。
「なんかモヤッとする回答……っていうか、それ……」
少年は両腕を組んで、右へ左でくねくねと首をひねる。
「今日って11月11日なんだよね? ハロウィン過ぎてるよね?」
「そうだね。ハロウィン・タウンだけに、当日はそれなりに盛り上がったよ」
「その人もやっぱり帰れなかった、って事だね? 再びハロウィンの夜を迎えたのに」
館長の口が堅く結ばれる。しばらく無言で考えたのち、館長がサギを見る。サギは肩をすくめて、少年の方へ向き直った。
「あー、なんというかだな。帰れなかったというより、帰ろうとしていないのである、奴の場合は」
「ありえない速度でタウンに適応してしまってね。率直に言えば定住してしまっているんだ。彼の場合は訪れた際の目撃者はいないし、彼自身に記憶もない。そして我々の知る限り、扉が開いてこの世界へ生者がやって来たのは、彼と君の二人のみ――とにかく、情報が無さすぎるんだ」
申し訳なさそうに、館長が言う。
ふーん、と普通な顔で聞いていた少年も、話が終わって数秒、ちょっとの静止のあとにみるみる眉尻が下がっていく。
「そうかぁ。僕、帰れもしないうえに、こっちには仲間もいないのか」
少年は三角座りの態勢で、勢いよく額をひざこぞうにぶつけた。
「お菓子だって失くしちゃったし。一年ったって長いもんだよ。帰れる帰れないの前に、あっさり飢えるんじゃない……そして誰にも気にされず……カボチャ畑の隅とかで死ぬんだ……意味わかんないオバケに囲まれて……」
少年のめそめそ声を聞き、カカシが「畑の中では死ぬな!」と抗議する。
館長はやや振り返ってサギの顔を見、サギも館長を見つめた。ふたりの主従は目と目で相談し合う。カカシたちはその後ろで、ケーキを互いの口に運びあって笑っている。
しばしの沈黙の後、館長が口を開いた。
「君、もしよかったら、という提案なのだけどね。私達のほかに知り合いも居ないのなら、この洋館に住むのはどうかな。もとより、私はそのつもりで、君をこのお茶会に招いたんだが」
館長の言葉に、少年はおそるおそる顔をあげる。
その視線に多少たじろぎながら、館長は言葉をついだ。
「ハロウィン・タウンというのは、お恥ずかしい話ながら、土地勘のない余所者をひとり歩かせておくには、幾分危険な場所なんだ。君は子供だし、人間だ。いつ襲われるか知れたもんじゃない。自慢じゃないけれど、私はタウンではそこそこ力のあるほうの住人だから、君ひとりを養うためのお金には困らないし、うちの家の者と知れば街の者は手出しをしないはずだ。
このお節介に、君が了承してくれるならば、私の世話焼きな性格も慰められるんだけどね。もっとも、世話を焼くのは私ではなくサギなんだけど――いいだろう?」
館長が振り向き声をかけると、「お心のままに」と調子よくサギが頷く。
ふたりの顔を交互に見やり、少年の顔は、みるみる明るくなっていった。
それから居てもたってもいられず、少年は立ち上がりざまに駆け出し、館長の腹に勢いよく抱き付いた。
「うわ!?」
「ありがとう館長! ありがとうありがとう!! 僕ぜひお世話になりたいな!」
「こらっ!! 主から離れるのである!!」
サギが檄を飛ばすと、少年は館長の腰にまわした腕をほどいて、構わず今度はサギの腰に巻きついた。
「サギも、ありがとう!! お世話になるからね。よろしくね!!」
「こここここら、私に抱き付くな!! なのである!!」
あたふたと慌てるサギを見、カカシたちは口に含んだ生クリームを吹き出しながら大笑いする。
満面の笑みでサギのスーツにほおずりする少年を眺めながら、館長も優しく表情をやわらげた。