「うわあ。これまた、豪華な部屋だねえ」

 通された部屋の内装を眺めまわしながら、少年は目を輝かせる。
 白地に金で細やかな装飾の施された壁紙。正方形の部屋に、ふかふかの赤い絨毯が敷かれ、天井の真ん中にはろうそくのシャンデリア、その真下に白いテーブル、またそれを囲んで黒皮のソファが備え付けてある。ソファに腰掛けると心地よく腰が沈んだのを、少年はうきうきと喜んだ。

「普段はこの部屋をお茶会に使うことは無いのだがな。主の命だ。本来なら賓客をもてなす客間であるぞ、くれぐれも粗相はなさぬように」
 サギが言うと、今まさに壁掛けの絵画に触れようとしていたカカシたちが、慌ててその手を引っ込めた。
 少年はそわそわと両手をこすり合わせてシャンデリアを見上げ、ろうそくの火が揺れるのを眺めた。

「館長さん、今日は寝坊しなかったって言ってたけど。いつもは寝坊するの?」
「する時もある。普段は私がお茶会の15分前に起こすのである」
 開け放った戸口の向こうから、隣のキッチンに立つサギが返事をした。

「へー。寝起きにケーキなんて、羨ましいねぇ」
「主は甘味はあまり召し上がらない。私のお菓子を食べるのはおもに客人たちのほうだ」
「あ、お菓子はサギの手作りなんだね!」
「当たり前だ。タウンにおいてお菓子づくりで私の右に出る者は……あっ」

 サギの言葉が途切れる。戸口を見やると、黒い背広の上に白いエプロン―――フリルがふんだんにあしらわれた大変可愛らしいデザイン――をつけたサギが、両手を拭いながら客間の方へ入ってきた。エプロンに視線を吸われた少年が思わずぷっと吹き出す。

「思い出したのである。作り置きのケーキが食堂側のキッチンにあるはずだ。取ってくるのでおとなしく待っているのだぞ」
「うん……キッチンふたつあるんだ。ていうか、よく似合うね、サギ……」
 笑いを堪えながら言うと、サギははて、と首を傾げたあと自分の服装をさっと一瞥し、それからふんと鼻を鳴らした。
「当たり前である。主が私に与えてくれたエプロンなのだ」
 自信満々に言うと、ふりふりエプロンの背広男は早足で客間を出て行った。

「何の抵抗も……無いんだ……」
 少年はぽつりと呟いた。彼の心境をありのまま伝える言葉があるとしたら、それはおそらく、ドン引きというやつだ。

「サギ、あれ気に入ってるからねぇ」
「そうそう。館長のくれるものを、僕らが好きにならないはずがないさ」
 真向いのソファに腰掛けたカカシが言うと、少年はふうん、と返し、それでもいまいち理解できないその言葉に小さく首を傾げた。

 少年は再びシャンデリアを見上げ、正方形の部屋を少しの沈黙が包む。あっという間に退屈に音をあげたカカシたちが目の前でソファに転げてじゃれ合い始めると、少年はこんどはそっちを眺めて、いま一度彼らの姿をじっくりと見まわした。その視線が、作業服と手袋の間にちらりと見える手首に留まる。

「ねえ! 君たちのそれ、すごいよね。手はどうやって動かしてるの?」
「なんの話?」
 カカシたちは動きを止めて、きょとんと少年の顔を見た。

「だから、君たちの仮装のことだよ。ていうか、もうハロウィンはいいんだよ。僕だってシーツ失くしちゃったんだしさ」
「僕らはカカシだからハロウィンには出ないよ」
「そうそう。毎年ずうっとカボチャ畑の見張り番」
「え。でもでも、その手首の棒って――」

 少年の言葉を遮って、ギイイと唸ってドアが開いた。見ると、戸口に此処の主と、盆を持った従者が立っていた。
 盆に乗った見事なホールケーキに、少年とカカシたちが目を輝かせる。

「助かりました、主。両手が塞がってドアが開けられないところでした」
「うん。ちょうどタイミングが合って良かったよ」
 サギの言葉に、男性が頷く。彼の服装はくたびれた黒いベストから、かっちりとしたブラウンチェックのベストに変わり、ぼさぼさだった頭髪も心なしかおとなしくなり、顔つきは寝起きのそれとはまた違った穏やかさをたたえていた。

「お待たせしたね。サギ、お茶の用意をしてくれるかな」
「はい。主、茶葉はいかがいたしますか。ニルギリとキャンディをおすすめしますがもしケーキを召しあがらないならダージリンと……」
「何でもいいさ。サギの気分で選んでくれ」
「お心のままに」
 一礼したサギが再びキッチンへ入ってゆく。男性は少年の斜め向かいの上座にゆっくりと腰掛けた。それから、「さて」と呟いて少年の顔を真っ直ぐに見つめる。少年はどこか緊張した心持ちで、ぴしりと背筋を伸ばした。

「最初に確認しておこう。君は紅茶やケーキの類は口に入れたことはあるかな?」
「へええ?」
 予想外の質問に、少年は思わず間抜けな声を出す。それから慌ててうんうんと頷く。
「ある、あるよ。それはもちろん。どっちも大好きだよ!」
「そうか。では安心してお茶会を楽しむといい」
 男性が微笑むと、少年はわけのわからないまま、口をへの字に曲げた。何か訊いてみようとしたものの、優しい眼でキッチンの方を見やるその姿に、不思議と怖気づいてしまった。カカシが声をそろえて愉快に歌うと、今度はそちらを見て小さく頷く。
 少年はかれらの様子をぼーっと眺めたが、やがてそわそわと体を揺らし始めた。

「まだかなぁ、まだかなぁ~」
「もう少し待っておいで。蒸らす時間を急かしたらサギが怒るから……」
「ケーキが目の前にあるのに、おあずけなんて!」
 少年のお腹で、かすかに虫が鳴く。

「聞こえているのである。主、お待たせいたしました」
 その声に、少年とカカシたちが勢いよく振り返る。
 キッチンから盆を持ったサギが出てきて、さっきの大きなホールケーキ、これまた大きなパウンドケーキをテーブルに並べる。カップにお茶を注ぐと、ふわりと感じのよい香りがした。少年は思わず頬をゆるめ、カカシたちはケーキを前にきゃっきゃと喜んだ。
 サギは続いてホールケーキにナイフを入れた。鮮やかなイチゴを飾ったケーキが贅沢に大きく切り分けられる。少年はもう、待ちきれない思いでいっぱいに息を吸ってみた。甘い香りが心をくすぐる。

「ここの畑に来てラッキーだったなあ。持ってたお菓子は全部失くしちゃったけど、ケーキが食べられるならプラマイゼロだね」
 少年が言う。男性は眉間にほんのりしわを寄せた。
「そうだな。私も、君とゆっくり話す時間を持てて嬉しいよ」
 ちっとも嬉しくはなさそうな声色で、男性は言った。

 ケーキとカップがすべて配り終えられると、男性は「ありがとう。サギも座って」と声をかける。サギはひとつお辞儀をして、ようやくソファに腰掛けた。
「ね、ね、館長、食べてもいい?」
 カカシたちがはしゃいで訊ねた。男性が「どうぞ」と頷くと、二人は大喜びでフォークを握った。少年もまず両手を組み、雑にお祈りをしてからフォークを手に取った。
 ぱくりと一口ケーキを含むと、じわじわと感動がこみあげる。

「おいしい! これ、本当にサギが作ったの、クリームも?」
「う、うむ……そうだが」
「すごいね!! 今まで食べたケーキの中で一番おいしいよ!」
 サギは何度かまばたきしたあと、「そうか」と返し、照れを隠しながら自分もぱくりとケーキを口に運んだ。男性は紅茶のカップを傾けてから、二人のやり取りに小さく笑う。

「サギ、もう名前を覚えられたんだね」
「そのようです」
 もぐもぐとケーキを食べながら、口に手を当てたサギが不機嫌そうな顔で答える。

「そうだ。僕、まだ館長さんの名前を聞いてなかった」
 少年は男性のほうを見て、「なんていうの?」とたずねる。男性はゆっくりとカップを置き、にこり微笑む。

「私の名前なら知っているじゃないか。館長だよ」
「んっ? それは肩書きでしょ。いや職業?」
「呼び名はそれしかないんだ。だから私の名前は館長さ」
「えー、そんなの名前って言わないよ……」
 少年は納得のいかないまま、それでも「じゃあ館長って呼ぶからね」と覗き込む。館長は微笑み、「そうしてほしい」と頷いた。

「配役が他の名前を許さないからね」
 意味を理解しようともしないまま、少年はまた一口ケーキを食べた。

「人に聞いてばっかりで、自分はどうなのさ」
「僕もまったくそう思う。きみの名前はなんて言うんだ?」
 口いっぱいにケーキを頬張りながら、カカシたちが少年を見る。少年は「そっか!」と目を見開いた。

「まだ自己紹介してないんだった! 僕は――」
「言うんじゃない。言わなくていいよ」

 場の視線が館長へと向く。名乗りを遮った館長は、まず優雅に紅茶を飲んでから、真剣な眼で少年を見つめた。
「君はあまりに迂闊すぎる。自分の置かれた状況を全く理解していないようだね」
「へえ? どういうこと?」
「お茶を続けながらでいい。本題に入ろう」

 館長がおもむろにカップをソーサーに置き、膝の上で軽く手を組む。少年はわけのわからないまま、それでもひとまず倣ってケーキの皿をテーブルに戻した。
 館長が口を開く。

「君がどこから来たのかは分かっている。質問をしよう、今日は何月何日かな?」
「え? え? もしかして、やっぱり僕が酔っ払いだと思ってる?」
 拍子抜けな質問に戸惑った。が、館長の真剣なまなざしを受けて、ごくりと唾を呑む。

「今日は10月31日、ハロウィンの夜でしょ」
 少年が言うと、カカシたちが顔を見合わせる。
「あ、ただし、日付がまだ変わっていなければ、だけど。そういえば僕、ちゃんと帰れるかなあ。この辺ってバスは通ってるの?」

 訊ねる少年の顔を、館長はじっと見つめた。重々しい沈黙をおいてから、低い声色で喋りだす。
「バスなんて存在しない。残念だけど、君はもう家に帰ることは出来ないと思うよ」
 ゆっくりと唱えるように、館長は言った。

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