「でっかいお家だね」
 少年は洋館の戸口に立って、大きなため息をついた。
 カボチャ畑から眺めた時から、建物の大きいことは分かっていたのだけれど、近付いてみるとなおさら威圧感があった。灰色の石が高く積まれた外壁が紫色がかって見えたのは、どうやらここの薄暗いような仄明るいような、独特の空気感のせいだったらしい。
 少年は今一度振り返り、いま歩いてきた広いカボチャ畑を見た。
 あんなだだっ広い畑を持って、こんな大きなお屋敷を持って、しかも夜に優雅にお茶会だなんて。一体どんな金持ちなんだろ。おいしいケーキへの期待がますます高まる。

「さ、さ、中に入ろう」
「扉を開けなよ」
 カカシたちが両脇から急かす。少年は目をまんまるく開いた。
「君たちが案内してくれるんじゃないの?」
「案内したでしょ。畑から洋館まで」
「僕らは勝手に扉を開けちゃいけないんだ。そういう契約だからね」
「契約って……」
 うーん、と唸りながらも承諾し、扉につけられた錆びた金属製の取っ手に触れる。

 途端、見るからに重そうな両開きの扉が、勢いよく開かれた。
 驚いた少年が「うわあ」と尻もちをつく。カカシたちもそれを真似して「うわあ」と後ろへこけた。

「どうして、僕まだ押してな……ていうか右の扉しか触ってない……」
「この展開はひさしぶりだねえ!」
「僕もまったくそう思う。いかれぽんち以来かもしれない」
「はあ? いったい何の話をしてるのさ」

 戸惑う少年、喜ぶカカシたちの耳に、コンコンと足音が届く。
 大きく開いた扉の向こう、正面の大きな階段を、黒いズボンと黒い革靴がこちらへ降りてくるのが見えた。
「扉を開けたのは誰だ」
 お腹の底にずしんと響くような、低い男性声がする。
 コン、コン、階段を歩くにつれて、灯かりのない暗がりから声の主の身体がだんだんと現われてくる。黒ずくめの足下と同様、上着も真っ黒。どうやら正装姿らしい。やっと首元が見えたとき、白いシャツの上に、これまた真っ黒なネクタイが締めてあるのが見えた。
 そしてようやく、黒ずくめの男の顔が、薄紫の明かりに照らされた。

「おおおおおお、おばけだ――――――!!」

 少年は尻もちついて転んだその体勢のまま、勢いよく後ずさった。
 顔を見るなり叫ばれたほう――黒ずくめの正装に、頭部がオオカミのような獣のそれに似た男――もまた、少年の姿を見るなり、驚いたように目を見開いた。それから眉間と鼻の上にしわを寄せ、鼻をくんくんと鳴らしながら早足で三人に近づいてくる。

「人間…………」
 獣頭はいかにも不機嫌な表情で、睨むように少年を見下ろした。
 ぽかんと口を開けてそれを見ていた少年も我に返り、汚れた尻を叩きながらあわてて立ち上がる。少年は後ろ頭を掻きながら、ばつの悪そうに笑う。
「そ、そういえばハロウィンか。びっくりしちゃったぜ。すごい仮装だねえ。ごめんね、僕もシーツかぶっておばけやってたんだけど、迷子になったついでに失くしちゃって。だからふつうの人間モードなんだ」
「何を言っているのだ、人間」
 ぺらぺらと続くお喋りを遮るように、ぴしゃりと獣頭の男が言った。

「おい、カカシ共」
 獣頭が呼ぶと、立ち上がったカカシたちがびしりと背筋を伸ばした。
「見張りの仕事はどうした。侵入者のようだが?」
「それは仕方ないよぉ。見張りはしてたけど、不可抗力だよぉ」
「僕もまったくそう思う。空から降ってきたんだもん、そいつ」
 空から? と聞き返しながら、獣頭は再びじろりと少年を見た。少年はきょとんとした顔で二、三度まばたきし、両手を横に振った。

「まさか。空から降ってなんてないよ。気付いたらカボチャ畑の隅で寝てたんだ」
「と、言っているが?」
 獣頭が睨むと、カカシたちは大きく眉尻を下げた。
「ホントだよぉ。それで、そいつが起きて、僕たち一緒にお茶にと思って……」
「招かれざる客がお茶会に出る訳があるか。それに、お茶会まではまだあと42分ある。主はまだお休み中だ」
 きつく言い返され、カカシはいよいよしょんぼりと頭を下げた。

「あっ、あのね」
 少年が声をあげる。全員が少年の方を振り向いた。

「僕、知らず知らずここの畑にいたんだ。なんだか勝手に侵入しちゃってたみたいで。だから持ち主の人に謝ろうと思って。えーっと、あなたが館長さん?」
 少年が指をさすと、獣頭は相変わらず不機嫌そうに、「違う」と答えた。
「館長というのは私の主のことだ」
「なあんだ、またそのパターンか。じゃあ僕、その主さんに会いたいな」
「ふざけるな。お前のような不審者を会わせられるか」
 獣頭はそう言い放ち、ぐるるる……と唸って威嚇した。少年は、オオカミのモノマネ上手だなあと、考えてニコリと笑った。

「不審者なんかじゃないよ。それに僕は被害者なんだ」
「被害者だと? 何の話だ」
「だって僕、ここに来た時に持ってたお菓子を全部失くしちゃったんだよ」
「川にどんぶら流れてった!」
 女のカカシが補足すると、少年は彼女を指さして「それ!」と言った。
「勝手に乗り込んでおいて、被害者も何もあるか」
 獣頭が吐き捨てる。聞くなり少年はむっとした顔で、「勝手じゃないってば!」と食いつく。

「どうやってここへ来たかは分からないけど、僕が被害者なのは本当だぜ。ここで目を覚ます前に、黒猫に会ってさ。猫なのに喋るんだよ、まあそれは僕が頭を打ったせいだと思うけど。そいつに穴に落とされちゃって――」
「黒猫? 穴?」
 ぴくりと耳を動かし、獣頭が聞き返す。

「そうだよ。ハロウィンでもらったお菓子を袋とかバケツとかにいっぱい詰めてたんだ。キャンディとか、マジパンとか、婦人会のおばさんたちが焼いたマドレーヌとかね。それを猫にあげようとしたんだけど、うーん、チョコレートが気に入らなかったみたいでさあ。僕も食べたけど美味しかった、だってあれは交差点のとこのショコラティエのおじさんが」
「お菓子の話はもういい。穴とは何だ?」
「だから、ええと。猫とお喋りしてたら地面に急に穴が開いて」
「何だと!?」
 獣頭が少年の肩をつかむ。

「嘘を言うな。入り口がそんな簡単に開くはずないのである!」
「何の事だか分かんないよ。ちょっと、痛い痛い」
 少年は獣頭の手を振り払い、もう、と唇を尖らせた。
「お前、まさか……」
 獣頭は顔をしかめ、くんくんと鼻を鳴らした。

「そんなに怒ったらかわいそうだよ。死にたてなんだから、もっと優しくしないと」
「僕もまったくそう思う。死にたてほやほや。初心者ゴースト」
 横で見ていたカカシたちが、獣頭に茶々を入れる。獣頭は再びふたりを睨みつけた。
「死にたて? ゴースト? 何を言う、こいつは……」
「失礼だなあ。誰が死んでなんかいるもんか!」
 少年が大声をあげると、獣頭はぎょっとして慌ててその口を塞いだ。
「静かにしろっ。主がお休み中だと言ったではないか」

 獣頭が言い終わるか言い終わらないかのうちに、視界がふっと明るむ。
 驚いた少年が見回すと、今まで真っ暗だった館内にいっせいに灯かりが点されている。建物の中の、赤い絨毯やつるつるの大理石の床や大きなシャンデリアなんかの内装が美しく照らし出された。

「すごい……」
 少年はぱあっと笑顔になる。カカシたちも手を取り合ってはしゃぎ始めた。
 獣頭は一人、苦虫を噛み潰したような顔で恐る恐る振り返った。

 コン、コン。一度聞いたものによく似た、しかしいくらか軽い足音。
 シャンデリアの向こうから、足音の主が徐々に姿をあらわす。暗茶色の革靴、黒い細身のスラックスが、正面の大きな階段をこちらへ降りてくる。黒いベストに、ゆるく留められたループタイ。少しくたびれた白いシャツ。やっと口元がちらりと見えたとき、足音の主は一つ大きなあくびをした。

「よく眠った。今は何時何分かな、サギ」
 ぼさぼさの夜空色の髪をした男性が、目元を擦りながら言った。

「主……」
 ぐるる、と獣頭が短く唸った。

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