くわんくわんと回るような頭。痛むおでこにご機嫌を損ねながら、少年は目を開けた。
 猫のまんまるい瞳が目の前にあって、じっとこちらを見つめている。猫は口元をもにょもにょと動かして、しばらく少年と睨めっこしたあと、小さく首をかしげた。

「あーあ、アホやなぁアンタ」

 子猫の可愛らしい鳴き声イメージを裏切った、流暢で悪戯っぽい人語。
 少年はぱちくり瞬きする。まずいなあ、打ち所が悪かったかな。僕、猫の言葉が解っちゃう……じんじん痛む頭で少年は考える。

「オイラが口きいても驚かへんし。マジもんのアホやわ」
 猫は少年を見下ろしたまま、黄色の目を三日月型に細めた。
「まさか、オイラがただの猫やないて、最初から気付いとったんかい。や、ほんなら尚更、追いかけたりしたあかんやろ。今日はハロウィンなんやで」
「よく喋る猫だなあ……」
 ぽつり、少年が口を挟む。
「人の話聞いとんか? や、人ちゃうけど」
 猫はピンクの舌で、ちろりと自分の鼻を舐めた。
 少年はよっこらしょ、と立ち上がり、散らばったお菓子を集め始める。

「おいおい、オイラは無視かいな」
「せっかくのお菓子を失くすわけにはいかないし……」
「そうとう好きなんやな。どうりで甘ったるい匂いしよるわ」
 がさがさと集めた戦利品を紙袋に戻し入れ、少年はひょいとチョコレートを猫に差し出した。「食べる?」と訊ねれば、猫は不満そうに眼を細める。

「アホ。猫にチョコレート食わしたあかんやろが。殺す気か」
「え。僕、猫にチョコレートあげたことあるけど」
 ぜんぜん知らなかったー、のんきに伸びをしながら少年が言う。猫は鼻をひくひくさせて、少年を睨んだ。
「おっそろしいガキ。脳内万年ハロウィンか」
「それいいね。ほんとに毎日がハロウィンでもいいや、僕」
 少年は尻や背中についた草を乱暴に払う。猫は「そうかぁ」と、また目を細めて笑った。
「そっちから言うてくれはるんか。さすがアホや」
「へ? 何の話?」
 少年が顔を上げて見やると、猫は尻尾をゆっくり、左右にぶんぶんと振った。

「はなし戻すで。ハロウィンの夜は迂闊なことしたあかんねん。こんな森にひとりで入ったんもそう、オイラを追いかけたんもそう。喋るオイラから逃げんかったんもそう」
 猫はここで一度、片足を持ち上げてペロリと肉球を舐めた。
「ほんで、毎日ハロウィンでええとか、そういう発言もそう」
 喋る猫を横目に、少年はふんふんと適当に頷きながらチョコレートの包み紙を開けた。猫が「聞いとんか?」と訊ねると、チョコレートを口に含んでご機嫌の金髪頭は「きいてる、きいてる」と甘い息を漏らした。

「ニャ。まあええ。とにかくな。そういうこと言うたら連れて行かれんねや」
「どこに?」
「んなもん行きゃあ分かる」
「じゃあ、誰に?」
「それ言うたらオイラご主人様に八つ裂きにされなあかん」
「なんで?」
「ゴチャゴチャうっさいガキやで」

 猫はヒゲをぴりぴりと震わせた。
 少年がふたたび口を開いて何か言おうとした時、森の中に強い風が吹いて、散ってきた木の葉で一度視界が崩れた。風に飛ばされないよう、いっぱいのお菓子を抱きかかえる。
「ひええ、すげえ風。猫、うち来る? なんだか雨が降りそう」
 声をかけても、猫は黙っていた。それからざわざわ、ごうごうと森が蠢くのと一緒に、黒猫がウーと低く唸り始めた。猫の背から、真っ黒い影が左右にじわじわと伸びる。
 えっ、と驚き、目を擦ってからふたたび猫を見やると、ふたつの影は何かの形を成したようだった。

「残念やけど、ウチには帰れへんで。オイラも仕事やから、堪忍してや」
 だから何の話だよと、文句を言いかけた少年に、また容赦なく強い風がぶつかった。少し後ずさったとき、置きっぱなしのランタンを蹴る。転んだランタンの火が足下の草に燃えうつる。「やばい!」と呟いて踏み消そうとしても、火は瞬く間に走り広がって、かれらの周りを円状の炎が取り囲んだ。

 何これ。少年は胸のあたりがひゅうっと冷たくなる感じがした。昔、なんかの映画で見た。こんな感じに、地面に炎で魔法陣描いて、悪魔を呼ぶやつ。もっと模様が細かく作ってあったけど。
「やばいやばい。早く逃げようよ」
 少年が言うと、猫は首を傾げた。
「逃げるわけないやんか。逃がさんように火をやったのに」

 それってどういう意味、と少年が口を開く前に、ふたつの黒い影が近寄ってくる。
 これも、なんとなく見覚えがある。少年はぼんやり考えた。真っ黒のフード被って、がりがりの身体で、何だっけ? あ、そう、死神だ。大きな鎌を持ってて。
 黒い影から、記憶さながらの大ぶりの鎌型の影が伸びる。振りかざされたそれを避けようとしゃがみ込むと、突如、少年の足下が消えるように、黒い大きな穴が開いた。

「ちょっ、待って、そっちかよおおおおおおおお」

 叫びながら、少年は真っ直ぐに暗い穴へ落ちた。

 地の底から響いてくるような、おおおおお、という残響を聞いて、黒猫は満足げに舌なめずりした。

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